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客員研究員との対談その1 〈前編〉遊ぶことは生きることそのもの

原っぱ大学 ガクチョー
塚越 暁(つかこし あきら/ツカ)

ガクチョー/「村や」管理人。神奈川県逗子市に生まれ育ち、現在も在住。小5男子と小2女子の2児の父。2012年、子どもとホンキで遊ぶのが楽しくて、「原っぱ大学」を立ち上げる。最近の趣味は庭仕事。週に2日~4日は逗子のフィールド「村や」に上がっている。
http://harappa-daigaku.jp/

所長きむら
みなさん、こんにちは、所長のきむらです。今回は、「原っぱ大学」ガクチョーの塚越 暁さんにお越しいただきました。我々が日々、考え続けている「シアワセの法則」は、果たして本当にあるのか?ということで、塚越さん今日はよろしくお願いします。
塚越 暁さん
記念すべき第1回目に、お招きいただきありがとうございます。よろしくお願いします!
所員よしだ
今日を楽しみにしていました!よろしくお願いします。
所員くどう
まずは、塚越さんがどんなことをしているのか、聞いてみたいと思います。

大人と子どもが365日間遊ぶ学校?!「原っぱ大学」とは?

きむら

「原っぱ」という言葉からして、気になっていました(笑)。塚越さんたちが、どんなことをしているのか教えてください。

塚越さん

僕らは「原っぱ大学」という、大人と子どものための365日間の「遊びを作りだす学校」でプログラムを提供しています。都心から電車で、1時間ほどの神奈川県逗子市内の山の中が拠点です。原っぱ大学では、逗子の山中にある秘密基地での活動(fieldwork)、家庭に届く遊びの種を日常で楽しむ(homework)、新しく出会う仲間たちとの関係性を育む(community)の3つの軸で過ごします。提供と言っても、僕らはなんとなくの環境を用意して、遊びに来た子どもや大人が、夢中になって"やりたいことをやる"学校です。五感を使って、身体全体で遊びます。教科書もありませんし、丁寧に教えてくれる先生もいません(笑)。

きむら

大人と子どもが一緒になって遊ぶ場所をつくっているんですね。これは、とても面白そうです。

塚越さん

はい。遊ぶことは、生きることそのものだと考えていて。 原っぱ大学では、失敗を楽しみ、正解を求めません。 大人は「◯◯のために、◯◯しよう」という思考に陥りがちですが、子どもはどんな環境でも楽しめると思うんですね。 子どもを介して、大人も一緒に難しいことを考えず本気で遊ぶ体験をしてもらいたいと思っています。

きむら

いつ頃から始められたのですか?

塚越さん

原っぱ大学は、2012年4月に単発のイベントから始めて、4年経ちました。事業というかたちで、会員制のサービスを始めたのは2015年からです。 ここには、多様なバックグラウンドを持った、様々な年齢層の子どもや大人が集っています。

きむら

原っぱ大学が、本格的に始まって1年。その前は何をしていましたか?

塚越さん

僕は会社員でした。新卒で入社して、雑誌の編集やWEBの仕事を経て、経営管理に携わりました。入社当時、先輩達は「ザ・バブル」という感じで勢いがありましたね。でも僕は、今でいう「ゆとり世代」という感じ。あのころは会社でお金を稼ぐということや、目標にコミットすること、職場の飲み会、出世レースなんかも苦手で(笑)。それでも、不器用ながらも少しずつ社会に適合していくというか。数年経ったらすっかり仕事と組織に埋没している自分がいました。

きむら

個人的には、かなり共感します(笑)。会社員時代に、何がきっかけで会社を辞めることを考えたのですか?

塚越さん

そうですね。きっかけは、幾つかあります。中でも、東日本大震災は、多くの人に影響を与えたと思います。僕も、自分や仕事を見つめ直す機会になりました。

きむら

うーん。確かに価値観の転換が早まりましたよね。

塚越さん

当時は、企業の管理部門にいましたが、会社の裏側でお金や数字とにらめっこして、効率よく利益を回していくような仕事。それは素晴らしいことかもしれないけど、自分が会社のパーツのように感じて。自分の人生を、そこに注いでいける自信がなくなってしまいました。

最初は、誰かに言うのがハズカシイ!会社員時代の僕

塚越さん

ふと気づいたんですよ。会社という看板が取れた時に、個人として世の中に何もできない自分がいることに。そこから、悶々と過ごしている時に偶然、とあるスクールに出会いました。彼らが掲げていた仕事でなくてもいいから自分サイズのワクワクを、世の中に差し出せる人が増えたらいいよねという発想に惹かれました。

きむら

新たな出会いに心が動いたんですね。

塚越さん

はい。ずっと悩んでいましたから。マーケットありきじゃなくて自分の思い・感覚に正直でいいというのも新鮮でしたし。スケールしなくても、お金を稼がなくてもいい。というところに驚いて心が動きました。それと同時に、学校に行くことに対して恥ずかしさもあったので、妻には「ビジネススクール」に行ってくると言って(笑)。

くどう

ハズカシイ!という気持ちがあったんですね(笑)。

塚越さん

はい。僕は、奥さんが大好きなんですよ(笑)。奥さんの前でかっこ良くありたいという思いがありました。奥さんに、反対や否定されたらやっていけない。少し先の話になりますが、会社を辞めることや、「原っぱ大学」のことを正直に話すときも、すごく緊張しました。

大切なのは、子どもたちに教えてもらった「遊ぶ」こと

きむら

プロジェクトの始まりは、どんな状況でしたか?

塚越さん

自分が小さなころに好きだったことを子育てを通じて追体験することで、見つめ直すことがありました。僕のワクワクの原体験は、子ども時代に秘密基地をつくった体験なんです。

くどう

ご自分が好きだった体験を、子どもを通じて思い出した。

塚越さん

そうですね。もともと東京で子育てをしていたのですが、子どもが4歳のときに逗子に帰って。東京では子どもを公園で遊ばせることが多かったのですが、公園遊びはどうにも僕自身が退屈で...。逗子に帰ってきて、子どもと山の中に枯れ枝を組み合わせて小さな秘密基地をつくるとか、海岸で焚き火するとか、磯でシュノーケルするとか、そんな遊びの時間が自然と増えてきたんですね。自分の子どもを通して、自分が好きだったことを追体験させてもらい、自分が好きだった遊びの感覚を取り戻してきました。

くどう

子どもの頃の遊びと、プロジェクトがつながるんですね。

塚越さん

はい。僕はそんな風に子どもと遊ぶことが楽しくて仕方がなかったんです。でも、これは誰もが当たり前に手にしていることだと思っていました。その体験の話を、先程のスクールで話したところ、「大人になってから体験していない」とか「東京には、そういう場所がない」など、クラスメートの声が返ってきました。そこでギャップに気づきました。僕にとっての当たり前は、他の人にとっての当たり前じゃない。ということは価値になったり、いろんな人が喜んでくれるんじゃないかと。

きむら

仕事ではなくて、やりたいことができた。

塚越さん

そうですね。仕事を続けながら、プロジェクトを始めてみよう!という気持ちになりました。

ビジネスモデルではなく、プロジェクトを形に

塚越さん

ある日、電車の中でプロジェクトの詳細を考えていたときに、「子ども」と「原っぱ」というイメージが思い浮かんで。最後につけた「大学」は当時の流行でしたね(笑)。そこに、僕が一番好きな「秘密基地学科」という名前をつけました。「子ども原っぱ大学」主催の初のイベント、「秘密基地づくり学科」の誕生です。でも、このプロジェクトは僕自身の一番の根幹の部分でもあるので、否定されたらどうしよう、という思いが強かったですね。

よしだ

プロジェクトは、会社を辞めるつもりで始めたんですか?

塚越さん

いや、まったく。それは、雪だるまのようなもので。最初はただの粒なんです。自分が信じることからスタートして価値をつくったら、自分自身も幸せで世の中に何か返せるのではないか。そんな考えでした。仕事にできると思っていなかったし最初はビジネスモデルでも何でもなくて、僕が好きだったことをシェアしていく感覚でした。

きむら

ああ、わかります。その後、奥さんや周囲の反応はどうでしたか?

塚越さん

拍子抜けするぐらい、「どうぞご自由に」という感じでした。「そんなのに人が集まる気がしないけど、やりたいならやればいいじゃん」と。

きむら

いよいよ、ご自身の考えを外の世界へ伝えるタイミングになったのでしょうか?

塚越さん

はい、まさしくその通りで。SNSを使って告知をしようと考えたのですが、当時、僕は休日はサーフィンしている姿と、平日は仕事しているところしかさらしていませんでした。会社の上司も仕事関係者も、もちろん友人も見ている、そんなSNSに投稿するのが怖くて仕方ありませんでした。否定されたら、無視されたらどうしようって。恐る恐るプロジェクトの告知をしたところ、「いいね!」とたくさん言ってもらえて一気に広がったんです。

きむら

いい意味で、予想とは違う反応だったのですね。

塚越さん

妻が「誰も来ない」と言い放ったイベントに、たくさん人が来てくれたんです。お金もぐるっと回った喜びがありました。そこから、2ヶ月に1度のペースで続けていくうちに、企業の方に呼んでいただいたり、参加者も関わってくれる仲間も増えていきました。

「原っぱ」があれば、どこでもできる

塚越さん

最初は小さなプロジェクトとしてはじめましたが、だんだん自分の中でバランスが取れなくなってきました。仕事9割、プロジェクト1割の比率だったことが、自分の中で優先順位が変わってきました。このまま会社で組織の一員として働き続けるのか、自分の立てた旗でご飯を食べていけるようになっていくのか。比重が変わったことで、会社を辞める以外の選択肢がないような状況になっていました。

きむら

それを、また奥さんにも言わなければならないですよね?

塚越さん

最初は傷つきやすいナイーブな自分でしたが、世にさらされて多くの人が喜んでくれた経験があったので、以前よりも自信をもって伝えることができました。覚悟が決まった状況でもありましたね。確かに、結婚していて奥さんや子どももいる中で、会社を辞めるという選択を見た時に、「大丈夫なの?」と心配する声もあったのですが、妻は会社を辞めることについて特に反対はしませんでした。

きむら

当時は、今のように場所も持っていなかったんですよね?

塚越さん

そうですね。当時は、「原っぱがあれば、どこでも遊びはつくれる」と思っていたので、あえて場を持っていませんでした。ただ、会社を辞めて東京に行かなくてよくなってからは、子ども時代の同級生や地元で暮らす人たちとの関係性も近づいていきました。

きむら

原っぱや遊びを通じて、人間関係も変化しているのですね

塚越さん

はい。変化は人を通じて、起きていると思います。ある時、僕の活動を知っている友人が「一緒に山を見にいかないか?」と誘ってくれました。集まったのは、小学校時代のクラスメートで、小さい頃一緒に秘密基地をつくった仲間たち。大人になった今、焚き火をする場所も無く、原っぱを求めていたのは僕らでした。仕事と言うよりも、自分たちの遊び場として地元のつながりで紹介してもらった山を開拓しだしたのが先でした。この山が、今の原っぱ大学の拠点になっているのも、ご縁だと思います。

よしだ

興味深いお話ですね。そこから、どうなっていったのでしょうか。

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