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客員研究員との対談その1 <後編>本気で遊ぶことがシアワセ

原っぱ大学 ガクチョー
塚越 暁(つかこし あきら/ツカ)

ガクチョー/「村や」管理人。神奈川県逗子市に生まれ育ち、現在も在住。小5男子と小2女子の2児の父。2012年、子どもとホンキで遊ぶのが楽しくて、「原っぱ大学」を立ち上げる。最近の趣味は庭仕事。週に2日~4日は逗子のフィールド「村や」に上がっている。
http://harappa-daigaku.jp/

原っぱ大学 サンボー
志村 圭子(しむら けいこ)

サンボー/逗子在住、小3男子の母。原っぱ大学のクリエイティブディレクター&ご意見番。現役ママの視点から原っぱ大学をチューニング。普通のお母さんでも楽しくあるがままにコミュニティに参加できるよう全体をプロデュース。

所長きむら
みなさん、こんにちは。所長のきむらです。前回の対談「遊ぶことは生きることそのもの」では、塚越さんの会社員時代にはじまり、子どもとの遊びから得た気づき、自身の原体験をいかして始めたプロジェクトをたどってきました。
後編では「原っぱ大学」のお話を、より詳しく聞いていきたいと思います!
所員くどう
塚越さんと、原っぱ大学を一緒に育んでいる、志村さんの話も楽しみですね。よろしくお願いします。
塚越 暁さん・志村 圭子さん
どうぞよろしくお願いします!
所員よしだ
前回の続きが気になっていました。果たしてシアワセの法則はあるのでしょうか?!

やりたくないことをやらずに、やりたいことを続ける

きむら

「原っぱ大学」は、塚越さんが子どもの頃に秘密基地をつくって遊んだ原体験を元にした、個人的なプロジェクトからスタートしたわけですけれど。それから、どう進んでいきましたか?

塚越さん

お金のことを考えなければ、プロジェクトとして回っていましたが、仕事として成立させようとすると工夫と知恵が必要で。僕1人で、できることではないと感じていました。そんな、すごくあがいているときに、志村に出会いました。

きむら

志村さんとの出会いで、どんな変化がありましたか?

塚越さん

価値観や環境の近い仲間に出会えたことで、世の中に対してサービスとして提供するプロセスができました。僕が考えていることを話すと、「今の考えを形にあらわすなら、こういうこと?」という対話ができて。志村と出会ってなかったら、今の原っぱ大学はないですね。未だに悶々としていそう...。

くどう

志村さんは、どんな思いから参加を決めたのですか?

志村さん

実は、塚越にも伝えたことがないんですけれど(笑)。 塚越の思いに触れたときに、これまで感じていた母としての窮屈感や違和感、子どもが育つ今の世の中に対するひっかかりが、一気にブワーッと溢れました。事業の骨格を決めていく段階で、私たちがやろうとしていることは、必ず世の中に必要とされ、親子の意識を変えると強い確信があったんです。なので、参加することに戸惑いは一切なく、いつの間にかそうなっていたという方が合ってるかもしれませんね。

きむら

一貫しているのは、やりたいことをやるということですか?

塚越さん

「やりたくないことをやらずに、やりたいことを続ける」ということですね。

きむら

いいですねー(笑)。

塚越さん

今の話の根本は、自分の欲望に忠実に生きることにつながっていて。「やりたくないことをやらない」と決めると、どんどん選択肢が絞られていくんですよ。子どもと遊ぶことを、仕事にするってどういうこと?という感じなんですけど(笑)。

きむら

やりたいことに、向き合ったからこそなんでしょうね。ところで、原っぱ大学の根幹にあることって何ですか?

塚越さん

親子の時間を、アウトソースすることへの疑問ですね。誰かにお任せするのではなく、親子の遊びをつくることから、はじめようと考えました。「遊び」の感覚は、子どもにとってだけでなく大人にとってもかけがえのないもの。

大事なのは「親」のあり方に本気で関わること

くどう

何かターニングポイントになるような、機会があったのでしょうか?

塚越さん

以前、原っぱ大学とは違う環境で、子どもたちと接する機会がありました。小学校で子どもたちに工作や学びのプログラムを提供する仕事です。 このとき、原っぱ大学との根本的な違いに気づきました。 僕らの場には親子で参加してもらっているのである程度のチャレンジができるんです。プロセスを親が見ているから多少無茶しても理解、共感をしてもらえる。子どものチャレンジの結果としての怪我もプロセスを見ていればトラブルになることはあまりない。一方で、子どもを親から預かっている環境ではそうしたチャレンジは「リスク」になっちゃう。親御さんへの説明や預かっている責任を考えると、怪我をしそうなチャレンジはなかなかさせられない。これは全然違うと思いました。そういう場でのプログラムはあんまり楽しくないなと僕は感じました。

きむら

うーん。はっとさせられますね。

塚越さん

当時、今も心に強く残っている、2つの言葉があります。 小学校で実施した参加費のかかる工作物をつくるワークショップをした時のことです。ある子どもから、彼自身がワークショップを通じてつくったものに対して「お金を払ったのに、こんなものしかできないの!」という声がありました。 また、トンカチなど道具を使う工程で別の子から「これでケガをしたら、おじさんの責任だよね?」という声があがりました。

このとき僕は「親だ!」と思ったんです。 子どもにどんなに秀逸なプログラムを提供したとしても、親が変わらないと根本的には意味がない。 親のあり方に本気で関わらないといけないと感じました。だから、原っぱ大学では、親を見据えるべきだと思ったんですね。僕はこの時、「何を大事にしていきたいか」というぶれない根本を手に入れたんです。いわゆる「教育系サービス」と原っぱ大学は違うと僕が思っているところは「親」を中心に置いているところだと思っています。これに気づけたことは、すごい宝だと思います。

きむら

今の話を聞いてあらためて思うのは、僕らのいる住宅業界が、快適・便利ばかりを追究する産業だと、そういう風潮を助長するんじゃないか、そういう親子をたくさんつくってしまうんじゃないか、という危機感です。快適・便利に守られているということが前提という認識。その結果、何が失われていくのかという視点も必要なんじゃないかと感じます。

塚越さん

僕ら大人はゴールや成果を気にしがちですが、原っぱ大学では結果よりもプロセスが全てです。原っぱに出かけたらいつだって本番だけど、完璧じゃなくていいし失敗していい。 あとは、家族に閉じないことを推奨しています。 知らない人と出会い時間を共にする時に、「たて・よこ・ななめ」の関係性を大切にすることで、 家族関係に親子だけではない余白が生まれると思います。

きむら

だから、子どもにとっての世界が広がっていくんですね。

塚越さん

大人も同じです。子どもを信頼できるようになる。ここでの成功体験をいかに日常に持ち帰るか。僕が思うのは、安心・安全・快適というところの窮屈さに、違和感を感じている人も増えているということです。原っぱ大学の参加者が、わざわざ東京から毎週時間をかけて来ているのも時代の変化じゃないでしょうか。

人は楽しいことじゃないと動かない!コントロールしない自由さ

くどう

親子にとっては、お金以上の喜びがあるから参加するということでしょうか?

塚越さん

原っぱ大学は環境を用意するだけで、あとは好きにやっていいよというサービス。大人が「子どものためにしてあげる」わけではなく、大人も子どももやりたいことを本気でやる。

志村さん

人は楽しいことじゃないと動かないと思っていて。そこにどれだけ正論を向けても受け入れられないと思います。

塚越さん

参加者のお父さんは「お金を払って、労働してるんだよね(笑)」と言いながらも、喜んで山の中に階段をつくったり、トイレをつくったり「労働」を本気で楽しむ姿があります。自分が何を楽しんでいるのか、論理的には語れないんですけど。そこには、不便さを楽しむセンスがあるんだと思います。

志村さん

そうですね、今でも何度も言われますよね(笑)。原っぱ大学では、遊びや仕事をつくることはあっても、コントロールはしない。なんでもコントロールできるという錯覚に陥りがちですが、人間はそんなにエラくなくて、すべてをコントロールなんてできっこない。 子どもも子育ても、コントロールできませんよね。そこに、どう向き合っていくか?ということなのではないかと。

よしだ

快適・便利はいいのだけど、過剰なのかもしれないね。中庸でいるということの大切さもあると思うんですよ。

くどう

立ち止まってみれば、わかることがいっぱいありますよね。ふと気づいたら、それって本当に必要なの?ということもあると思います。子どもは大人の背中を見て生きている。危ないからと言って遊ばせないんじゃなくて。

塚越さん

そこを大人がまずは受け入れるというか。親が指導したり、お手本になったりしなくていいんです。親と子だって感性は人それぞれに違うと思うんですけど、だからこそコントロールしなくていいと思っていて。

きむら

親が必ずしもお手本にならなくても、いいんですね。

塚越さん

はい。親も子もそれぞれがリラックスしていいと思います。親と原っぱに来たからと言って、みんながみんな泥んこにならなくてもいいんですよ。隅っこで焚き火をしていてもいい。虫を捕まえていてもいい。僕らが遊び方を決めて、場をコントロールしようとした瞬間に、カチコチに固まって場が死んでいくというか。それこそ決まりきったことを提供するのではなく、即興演奏のようなライブ感を楽しむようでありたい。

遊び心発動中!家の中でも、原っぱでも、楽しめる場を育む

塚越さん

山に泊まるというときに、DSを持ってきた子がいて。山に来たのに、デジタルゲーム持参という...(笑)。

志村さん

子どもたちも大人も、最初はざわつきました(笑)。なぜ、山にDSなんだ?と。

塚越さん

「ここはゲームをする場じゃない」と取り上げるのは簡単だったのですが、あえて放っておきました。すると、それまで友達がなかなかできなかった子が、ゲームを介すことですごい友情を育んでいきました。新しい関係性ができ、ワクワクがうまれた瞬間です。僕らにとっての、ひとつの成功体験でした。ともすると型にはめたり、否定してしまいがちですけれど、この「否定しない」を大切にしていたいですね。

きむら

これが正しいということが、世の中にありすぎるのかもしれませんね。そんな既成概念をとっぱらっちゃうということが、H=ms2 を発動させるのかも。

志村さん

なぜ人工的なオモチャはだめなのか。禁止にすることは簡単なのですが、それで失ってしまうことも多いととらえています。

よしだ

そこは、自然体というかね。何事もバランスや中庸が大事なのではないでしょうか。極端じゃなく、ほどほどに。

塚越さん

ほどほどさってシアワセにつながっていく。こうじゃなきゃいけないってことではないことを、もっと広げていきたいですね。もちろん、命の危険に関わることは教えるんですけれど、 泥んこになることも、びしょ濡れで水鉄砲を打ちあうことも一緒に楽しみます。 基準の禁止事項はつくりません。 自分がケガをしないことや、人にケガをさせないことくらい。 そういう判断を委ねられる1人1人のスタッフがいること、参加者が集まってくださっていることがありがたいです。

きむら

お話しを聞いていると1人1人の主体性というか。環境が遊び心を引き出すような状態であることが、楽しいことにつながっているのかなと感じます。

塚越さん

僕らは余白や決めきらないことを大切にしていて。 今までそれぞれが勝手に決めていたルールの枠を取り払うことや、自分を解放すること。難しく考えず、全ては感じるままに遊ばせていいんです。僕らは常に見切り発車(笑)。思考じゃなくて感覚でとらえていますが、何を価値として感じるかは受取り手に押しつけても意味がないので、そこは委ねています。

くどう

そうですよね。考えることはいっぱいあると思うんですけれど、難しく考えず、こころを遊ばせていいというところに共感します。バランスを大切にできるといいなという思いがありますね。

塚越さん

子どもに自然の中で体験させたいからと参加した親が、一番楽しんでいるというのがよくある原っぱの風景です。とある参加者が原っぱ大学には「あることと、ないことがありがたい」と表現してくれました。火、木、土、自由に使っていい廃材、そして何よりも大切な仲間がここには「ある」。一方で水道、水洗トイレ、屋根、ガス、電気、風呂...。都市生活では当たり前のインフラが「ない」。そんな環境だからこそ自分で感じて、考えて、何をやるか決めざるを得ない。その自由さと不便さが遊び心につながっているのかもしれません。

おふたりにとって、シアワセの法則ってなんですか?

きむら

これからの原っぱ大学は、どうなっていくと思いますか?

塚越さん

自分の子どもたちが、歳を重ね成長することで変わっていくと思います。自分が感じることをベースにしていくと、サービスの形も変わっていくんじゃないかと。僕らは、生きることと働くことが、ものすごくリンクしています。生きる中で感じることは、全て仕事の中にフィードバックされる環境です。だから自ずと変化し続ける。

志村さん

原っぱ大学は、人々と深く関わらなければできないことなんですよね。子どもたちも成長していく中で様々なことが起きます。何かを決めたとしても決めきらない。そんな余白を残していくと思います。

塚越さん

逗子の山中にあるフィールド「村や」だけでなく、100年経つ古民家100saiなど、新しい拠点も誕生しています。今年4月からは、0歳〜4歳児を対象にした「リトルコース」を開設しました。たくさんの小さな仲間たちが親子で過ごし、自然の中で自由な遊びをつくっています。

きむら

生きることそのものが、仕事や暮らしにつながっている塚越さん、志村さん。原っぱ大学のこれからも目が離せません。ところで、おふたりにとっての、シアワセの法則ってなんでしょう?

志村さん

法則って難しいですね。成功の法則を思うと、そんなものはないんじゃないかなって思います。型にはまらないというか。

よしだ

僕は、型は否定するものではなく大事にするものだと思います。ただ、型にとらわれちゃいけないと思う。型はあるんだけれども身につけて、解き放つんじゃないだろうか。

塚越さん

シアワセは、自分の欲望の深いところにある部分を解き放てるかどうかじゃないでしょうか。僕らで言うなら、本気で遊ぶこと。遊ぶことは生きることそのものだから。

くどう

塚越さんのお話を通じて、まずは楽しもうよ!という遊びの大切さを感じました。

(対談を終えて...)所長きむらのひとこと
「考えてみれば、子どもたちはお金を持っていないけど、たくさんの笑顔がつくれる。ほぼ、 H=s2 ! こころを遊ばせて、本気で遊ぶ。塚越さんの言葉を借りれば、シアワセについては子どもたちから学ぶことの方が多いのかもしれませんね」
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