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客員研究員との対談その2 <前編>自分の半径5kmを大切に生きる

海洋冒険家
八幡 暁(やはた さとる)

東京都生まれ。現在は神奈川県在住。2002年、「海と共に暮らす人々は、どのように生きているのか」をテーマに人力航海の旅「グレートシーマンプロジェクト」をスタート。フィリピンー台湾海峡横断(バシー海峡)など世界初となる航海記録を複数持つ。身の丈+10センチをサポートするツアー会社「手漕屋素潜店ちゅらねしあ」、お遍路さんの海版のように日本の漁村を訪ねる「海遍路」や、都市生活における水辺を取り戻す活動「じゃぶじゃぶ」、地域を楽しく紡ぎ直す一般社団法人「そっか」など「生きる」ことをベースにした活動は多岐にわたる。
http://www.churanesia.jp/gsp/

所長きむら
当研究所は、「シアワセの法則」は、果たして本当にあるのか?をテーマに日夜研究を続けています。
所員よしだ
今回は、海を舞台に人力航海を続けている、八幡 暁さんにお越しいただきました。 八幡さん、どうぞよろしくお願いします!
所員くどう
八幡さんが、これまで何をされてきたのか、お話を伺うことを楽しみにしています。
八幡 暁さん
はじめまして、八幡です。今日はよろしくお願いします。

行きたいから旅に出る。会いたいから会いに行く

きむら

僕たちは、「H=ms2」をテーマに研究していますが、八幡さんがこれまでどんなことをしてきたのか?所員一同、気になっています。

くどう

「H=ms2」は、Happiness(幸福)、money(お金)、sense(感性) を表しています。この公式は「幸福とは持っているお金の大きさに関わらず、感性が豊かであれば大きくなる」ということを意味していて。八幡さんは、どう思われますか?

八幡さん

良いですね、それ。僕の旅は、最初m(お金)ゼロから始まりましたが(笑)。僕は、2002年から「グレートシーマンプロジェクト」という、世界最大の島嶼海域で情報が少ないと言われる、オーストラリア〜日本の海域を旅しています。各地の海と共に生きる人々「グレートシーマン」に会いにいく旅です。総行程1万kmの人力航海を、今も続けています。また、 2005年からは石垣島に、自給自足のサバイバルをするガイドツアーの店を開きました。 これまでの活動を経て、日本で海の暮らしを経験したことのないゲストと一緒に、お遍路さんのように漁村を訪問する「海遍路」という活動もしています。

きむら

お聞きしたところ、全てが海につながっているんですね。現在も旅を続けている八幡さんが、どうしてカヤックの旅に出ることになったのか。その経緯も気になりますね。

よしだ

たしかに。幼少期から、海に興味があったのでしょうか?

八幡さん

僕は東京の福生市に生まれ、まだ自然が残る郊外の街で育ちました。幼い頃から、川に入って魚を捕まえていましたね。もちろん簡単に捕れるわけでもなくて、たくさん失敗もしました。その原体験が、今につながっているのかもしれません。

くどう

幼少期から自然に触れて育ち、自分で魚を捕っていた野生時代があったんですね。

八幡さん

はい。その後の学生時代は、スポーツ一筋でしたね。大学生になってからは、「楽しいこと=遊び」という感じでした。勉強することよりも、楽しいことをしよう!と現実逃避(笑)。行動する理由は、行きたいから旅に出るというシンプルなもので、自分自身がワクワクすることをしていました。

八丈島で目にした、 海底に立つ人。

現場ではGPSも伴走船も無線機もなし。荒れた海で頼れるのは自分自身だけ。失敗したらすぐに死んでしまう状況だから却って慎重になる

八幡さん

そんなある日、新聞に八丈島で素潜りをしている漁師さんのことが書いてありました。この時、読んだ記事に感動して「ぜひ会いたい!」と漁師さんに手紙を書きました。

きむら

手紙に思いを書いて、伝えたんですね。会いたいから行く!という行動力がスゴイです。

八幡さん

はい。でも断られたんですよ。いきなり来られても困ると。まあ、そうですよね(笑)。だけど、ダメだと断られても八丈島に押しかけるように行きました。やっと出会えて、思いは伝わったけど、やっぱりダメって言われましたね。

くどう

断られたんですか。そこからは、どうしたのですか?

八幡さん

ダメだと言われても帰らなかったんです(笑)。島にしばらくテントを張って待ちました。そうしていると、僕の様子を面白がった島の人が、その漁師さんではない人を紹介してくれることになりました。このままでは帰れないと思っていたので、言われるがままついて行きました。そこで、衝撃的な出会いをしたんですよ。

よしだ

手ぶらでは帰らない信念というか、待つことで訪れた出会いのような。

八幡さん

はい。僕も、それまで海で泳いでいましたが「素潜り漁」をする人は初めて見ました。その人は、すーっと音も立てず潜り、20m以上先の海底に立つんです。海底に立つ人を見ることって、なかなかないですよね。その動きがとても静かで、海の中の出来事とは思えませんでした。「人間は、こんなことができるんだ!」という衝撃がありました。

きむら

念願の素潜り漁は、衝撃的だったんですね。

八幡さん

はい。素潜りなので、特殊な装備や道具もない中、魚に狙いを定めたら銛でトンっと仕留めて、海面に上がるまでのわずかな海中の時間で魚をさばいていました。その人は魚を捕るだけでなく、鮮やかな手つきで生きたまま締めていた。これが鮮度も効率も良い方法なんです。生きていく力を目の当たりにしたというか。これができれば生きていける。自分も素潜り漁をやるんだと強く思いました。

自分の手で食べものを得る、自分の足で立つ。

「海さえあれば食べ物は自分で調達します。これは慣れれば誰でもできること。みんな昔はやっていたんだから」

くどう

八幡さん自身も素潜り漁を習得すると決意されて。実際にしてみたら、どうでしたか?

八幡さん

海の中の魚を捕って食べてやるぞ!と決めたものの、最初は全く潜れませんでした。しかし、潜り始めると潜れるようになる。体が適応して変わっていくんですね。海の中には、僕がそれまで食べてきた魚とは全く違う、たくさんの魚で溢れていました。一般的に流通過程で食卓にのぼるのは、ほんの一握りの種類だったのだと実感しました。

きむら

自分の手で魚を捕ることは手応えがあると思いますし、味も格別な気がします。

八幡さん

そうですね。初めて捕れた時は、 形容しがたい感動がありました。こんなに美味しい魚があったんだと思いました。その頃には、地域の人が「面白いやつがいる」と来てくれるようになって。でも初めて僕が捕った魚は「ネコマタギ」という、猫もまたぐようなマズイとされる魚だったと知ることに(笑)。だけど、僕にとっては本当に美味しかったんです。

きむら

八幡さんが自分で海底に立ったからこそ、見えてきた世界がありそうです。

八幡さん

「食う」ということは、過程がすごく大事なんだと気づかされました。これは、就職してる場合じゃないと確信したくらい強い意志になりました。都市生活とは違う暮らしの中に、シアワセがあるんじゃないかと感じたんです。就職をすることよりも、世界中の海の民と魚を見に行こうと決めました。

きむら

旅の中で、お金が必要なこともあると思います。m(お金)ゼロで、どうやって世界をまわっていたんですか?

八幡さん

最低限、必要となるお金はバイトで貯めます。その他、道中、海に潜れば食べものに困ることはありません。魚が、いつでも捕れます。お金がなかったら、僕は魚を突けばいいと思っていました(笑)。だから、お金に対する不安もありませんでした。

経済圏の外にこそ、生きる楽しさがある

「文明」が届いていない漁村へ。言葉が通じなくても手漕ぎで海から入っていくと「海の民」は大概、受け入れてくれる。

きむら

僕らが気になっていた、m(お金)の部分がゼロでも不安がない生活。お話を聞いていると、むしろ楽しそうです。

八幡さん

そうですね。好きでやっていることなので、楽しさがありました。トルコでは、僕の捕った魚を見たおじいちゃんから、「懐かしい魚だから、売ってくれないか?」という声がかかったことも。最初は、あげますよと言っていましたが、注文が入り途中からは売り歩くようになって(笑)。お金をくれる人がいたことで、これが贈与経済から物々交換、そして経済だ!ということを体感しました。

よしだ

経済圏の外にいたつもりが、いつの間にか経済が始まったのですね。

八幡さん

はい。好きでやっていたことが仕事になる瞬間でした。 僕の中には「だいたいどこに居ても大丈夫」という、確信が生まれていました。また、情報が少ない地域に足を運ぶことで、そこにあるリアルな世界に触れることができました。世界にはそんな小さな町や漁村がいくつも存在しています。僕が旅をして行きたいのは、そうした世界なのだと感じていました。

きむら

そこから、人力航海の旅「グレートシーマンプロジェクト」につながっていくのでしょうか?

八幡さん

はい。その頃ちょうどカヤックに出会い、海を移動するにも素潜りをするにも適した乗り物だとわかり、カヤックに乗ることに決めました。持ち物は少なく、ほぼ身ひとつ。しかも手漕ぎの航海です。だけど、これは特別なことではなく太古から海の民がしてきたこと。この海を、昔の人が渡ったから行けると信じて、人力航海の旅をスタートしました。

くどう

海の旅を続ける中で、不安はありませんでしたか?

八幡さん

いろいろ不安はありますね(笑) 僕の旅は、海の民=グレートシーマンに会いに行く旅。海域を横断・縦断するにも、現代の海のルールがあります。許可交渉をしたり、国際海洋法を学んだりしながら、海沿いに暮らす人々の営みを知りたくて訪ねてきました。 まだまだ、世界にはわたしにとっての未踏の地があります。文化も様式も国によって違います。これまで旅をしてきた中での不安は、鮫などの凶暴な魚ではなく、人との遭遇でした。言葉も通じなければ、生き方そのものも全く違う。自分が食べられてしまうかもしれないんです。こうなると、こわいのは人ですね。そういう時は、逃げるしかありません(笑)。

きむら
よしだ
くどう

えー!!それは思ってもみませんでした(笑)実際には、笑いごとではないですよね...。

海の民の足跡をたどる旅を経て、気づいたこと

八幡さん

海で生きることはときに厳しく、生と死が身近にある過酷な世界。しかし、その営みに触れ、彼らが何を大事にしていたのかを考えると暮らしの足元なんです。そうした体験を経て、自分に照らし合わせ、見直す機会になりました。どこに居ても「自分の生活圏半径5km」を大切にした暮らしを大事にしないといけないんだと気づきました。目の前には恵みがあって、豊かな資源がある。捕りすぎてしまうと無くなるから、独り占めしない。地球資源や環境問題の話にもなりますけど、足元をちゃんと大切にできる暮らしをしようと。旅をすることで、色んなところに行って楽しいというのはありましたけど、子どもが生まれましたし、僕の生活も変化の連続でした。

よしだ

八幡さんが楽しんで取り組んできたことや仕事は、すべてにつながっていて。経済圏の内も外もなく、実は同心円上の話だったのですね。

八幡さん

そうかもしれません。2005年に、沖縄・石垣島にオープンし10年続けてきた、「ちゅらねしあ」での自然体験やツアーガイドの仕事は、おかげさまで低空飛行ながらも喜んで頂ける方がいて事業としても、暮らしも成り立つようになっていました。何より僕も楽しかった。そんな中、参加者のお父さんたちと、焚き火を囲みながら話したことがありました。彼らが感じている課題は、大自然での体験は身近な暮らしの中では、なかなかできないというものでした。

くどう

自然豊かな場所と都市との違いですね。お子さんが生まれてからの変化も、大きなものだったのではありませんか?

八幡さん

僕自身は、街でも自然の中で遊べるのになあと思っていました。震災を機に、自分が石垣島で教えていることは、東京などの都会に生きる人にこそ、伝えていかなくてはいけないんだと感じました。それは、自分の子はもちろん、地域の子どもたちにも教えていくこと。そこから、新しい活動も生まれていきました。

くどう

海の旅のスケールの大きさに驚きつつも、ご自身の暮らしにつながっていく今後のお話も楽しみです。みなさん後編も、どうぞお楽しみに!

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