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客員研究員との対談その4 <後編>面白がることがシアワセ

探研移動小学校主宰、東京コミュニティスクール探究プロデューサー
市川 力(いちかわ ちから)

1963年東京生まれ。1990年渡米後13年間にわたり、英語環境下での日本語学習指導に携わる。当時の経験からグローバル時代を生きる子どもたちに必要な、真のコミュニケーション能力を育てることを目指す教育研究・実践を行う。2003年帰国後、2004年8月より東京コミュニティスクール初代校長。教育にイノべーションを引き起こすために、志ある人々をつなぐ国境を越えたコミュニティ『ABLE』主宰。現在は、探研移動小学校を主宰し、大人も子どもも共に学びながら探究マインドを育む実践を続けている。著書に『英語を子どもに教えるな(中公新書ラクレ)』、『探究する力』。現在、新著を執筆中。
特定非営利活動法人東京コミュニティスクール

所長きむら
いよいよ、市川 力さんのお話の後編です。「探究心に火をつけろ!〈中編〉」では、市川さんが子どもたちと一緒に実践する「探究」についても詳しくお話いただきました。
所員くどう
後編では、市川さんが子どもとの学びや探究を通じて感じていること、ご自身が新たに取り組んでいることなどを伺っていきます。市川さんにとってのシアワセとは何か?果たして法則はあるのか?というところも聞いてみたいと思います。
市川 力 さん
はい!よろしくお願いします。

大人にも探究の場をつくりたい!

きむら

市川さんは、これまで小学生を対象としたフィールドワークや探究の実践をされてきました。そして現在、大人を対象に新たな活動を始められています。なぜ、子どもたちから大人に意識が向かわれたのでしょうか?

市川さん

僕は、「学校」のオルタナティブとなる「学校」をつくることを目指し、TCSの運営に関わってきました。ただ、やってゆくうちに、小学校だけでなく中学校や高校でも、こういう学びは必要。さらには大人であっても、探究する学びが求められていることに対応できないもどかしさを強く抱くようになりました。しかし、TCSだけでも手一杯なのに、新たに「学校」をつくりだすことなどできない。そんなときに、「学校という枠組みにこだわらなくても、学校の外に探究する場をつくればいいんだ」という逆転の発想が生まれました。

学校として決まった場所を持ち、体系的なカリキュラムで行うのではなく、街場の「おっちゃん」としてともに探究するのです。そういう大人が街に増え、学校外に学びの場をどんどんつくりだしてゆけたらと。このやり方は、実は、江戸時代とかを考えれば当たり前に見られた学びの形式で、僕は、こういう学びのスタイルの復活を目指すようになりました。

きむら

家庭や学校の外にどう学びの場をつくるかですよね。それが大人を対象にした『探研移動小学校』というわけですね。始めるにあたり、何かきっかけがあったのでしょうか。

市川さん

最初は、TCSで子どもたちがやっているフィールドワークをやってみたい!という大人の方々が現れて、じゃあ試しにやってみるかという感じでした。実際にやってみると驚くほど参加者が生き生きしている。それまで、探究する学びを活性化するジェネレーターとなる人を育てる研修をさんざんやってきましたが、座学や普通の室内でのワークショップだけでは限界を感じていました。しかし、フィールドワークによって探究する喜びと面白さを知った人たちは、頭ぐるぐる、心わくわくの探究マインドを活性化するスイッチが入っちゃって、生き方の姿勢や人と接するスタンスがあっという間に変わってしまったんです。

くどう

歩くことで頭を活性化するスイッチが入って、探究するようになったということですか。

市川さん

そうなんです。そのためにまず歩くことがとにかく大事。と同時に、歩いた後、頭の中に浮かんだ思いを、それがたとえまとまっていなくても言える場をつくることが大事だったのです。大抵の大人って、「まだ考えがまとまってないんですけど」と言葉を濁したり、本当に言いたいことを言わなかったりしますよね。そんな必要はないよ!という場をつくる。そのうえで、相手が素直に発言したことに対して、自分の見解を瞬時に返す。僕は、その瞬発力も高めたいと思いました。

きむら

言いたいことを言える状況と、相手の意見や思いを汲み取り実感を持って返せる瞬発力。その両方を満たす方法ということですね。

街を歩けば見えてくる。発見したことを表してみよう。

市川さん

こうして、フィールドワークとして「歩き」、その結果感じた思いを「俳句」にするという活動を始めました。例えば、歩いているときに富士山がぬっと現れた時に、思い浮かんだイメージを、どんなにバカバカしいと感じてもとにかく言葉にしてみる。そのイメージで富士山のこれまでにないイメージを生み出す訓練をするために俳句を用いたのです。自然にアナロジー思考を刺激し、思わぬ発想を生む頭をつくりだそうと考えたわけです。このプロセスが、歩くという行為によって実際に何かを発見することと、自分の脳の中を歩くように思考することを一体化する感覚を生み出します。こういう頭の状態になっている人が場に集まる、自ずと場が活性化し、探究マインドがどんどん高まっていくんですよ。

くどう

ご自身の課題に対する問いかけから気づきが生まれ、自然と新しい活動へつながったのですね。今見ている景色や感じていることを、言葉にするだけなく俳句にするとなると難しそうです。

市川さん

俳句の難しさは絶妙なんです。とにかくちゃんと歩いて、立ち止まって、何かを観察して、発見することができているかどうかで決まりますからちゃんと見てないと難しい。ただ、逆に言うと、一緒に景色を見ながら歩いていると、向こうから面白い物事が必ず飛び込んでくるんです。それを素直に表現しさえすればいい。いい俳句、風流な俳句をつくる必要はないんです。このことを参加者が実感して、歩いて俳句をつくることを面白がると、結果としてものの見方が変わってしまって、「わあ、すごい!」ということになって 「やりたい!」という声がどんどん出てきちゃったわけです。

きむら

ところで、探研移動小学校でフィールドワークをする場所は全て市川さんが決められているのですか?

市川さん

そうです。現在、東京周辺に10コース生まれました。このコースの特徴は、名所・旧跡を発見したり、歴史を学んだりするのではなく、自分の頭の中の思考と歩くことがパラレルになっているかのように感じられるコースです。なので、参加者自身が行きたいところに行くのではなく「なんで、こんなところに?」というところに無理やり(笑)連れて行かれるところがポイントです。

くどう

歩くのは、どこでもいいわけではないんですね?

市川さん

視点・視角を変え、視野を広げるのが狙いなので、行こうとは思わなかったところでの思わぬ発見が重要なのです。自分が行きたいところには自分で出向いて深掘りしていけばいい。でも、僕とともにある程度決まった範囲を、そのときの気分や興味で自由度を持って無目的に歩くことで今までと違った景色が見え、思いが生まれる。やがて、そこに生えている木や住んでいた人に想いを馳せるようになる。そして、歩いて「思わず」発見した、あまり関連性がなさそうなもの同士をこじつけてつなげるトレーニングをする。必ずアナロジカルに表現する。それが俳句というスタイルだったり、料理というスタイルだったりするのです。

きむら

料理ですか!? ちなみに、どんな料理ができたのでしょう?

市川さん

大学生たちと一緒に中野をフィールドワークした後、中野をイメージする餃子をつくりました。すると、中野の「雑」で「なんでもあり」のイメージを見事に表した不思議な形で中身もまさに雑多なんですが、美味しい餃子ができあがりました。歩いて、感じて、発見したことを言葉や料理で表現して最後はパーティーっていう遊びですね。ふりかえりの場所をテントにすれば、どこでも学びの場になる。転々と移動しながら学びの場をつくりつづけてゆくことも可能になる。こうして、いつでも、どこでも、誰とでも学べる場づくりとしての探研移動小学校という活動をし始めたところです。

参加者が育てた探研移動小学校。

きむら

お話を伺っていると、最初は何かをつくろうというのではなく、市川さんがやりたくて始めたことという感じがします。

市川さん

僕自身が悩んで悩んで辿り着いたことですからね。子どもだけでなく、どうしたら大人が一緒に探究を面白がれるか。そういう人はどうしたら育つのかということがずっと僕の課題でしたから。もちろん、僕自身の日課のようなものだったフィールドワークに、たまたま、つまらなさそうにしていたり、探究的ではないと思っていたりした人を巻き込んだら生き返ってしまった。こうして先生もいれば普通のサラリーマンもいれば、学生もいて、立場・職種に関わらずいろいろな人とともに歩いて、表すようになりました。今は大阪にも仲間がいます(笑)。

きむら

関東だけでなく、大阪にも活動が広がっているんですね。どうして、こんなにも求められて広がっているのだと思いますか?

市川さん

まち歩きという、その気にさえなれば、いつでも、どこでも、日常的にできることが、自信の回復や大変で辛そうな日常からの脱却につながっているからでしょう。そのうえ、マッサージのように「治療」して「楽」にして終わりではなく、イキイキと日常をとらえ直す「習慣」へとつながる。「体質」が変わっちゃうわけです。僕にとっては子どもたちとも大人とも同じことができるということが一番の喜びですけどね。

きむら

子どもたちと変わらず、大人とも同じことができるという喜び。これは市川さんならではですよね。

くどう

毎回、何人くらいで歩いているのですか?

市川さん

僕を含めて5人ぐらいです。色々と試してみましたが、この人数が、コミュニケーションがとりやすく、一緒になにかをつくり出せる最適な人数ですね。10人を超えちゃうとツアーみたいになっちゃってうまくいきませんでした。どうしても参加感にばらつきが生まれて、お互いに活性化するという状態がつくりづらかった。

くどう

なるほど。少人数だからこそ、できることなのかもしれませんね。

市川さん

一気に人を集めて効率よく研修しようという目的ではないですから。先ほど述べた10のコースも、最初からありきではなく、歩くにつれて自然に発展していきましたし、参加者には、探究する脳のプロセスを歩くかのような多様なコースを「追体験して」歩いてもらうという意図があります。一通り体験すると、参加者は、勝手に自分なりの新しいコースを自分の街でつくっていきます。結局、歩きながら探究する脳の使い方を学んでいるんですよね。

思いがけない出会いを生む歩き方。

よしだ

例えば、どんなスポットを選ばれるんですか?

市川さん

よく「人・もの・コト」と言われますが、東京の街を歩く時に、そこに誰が住んでいたのかを考えます。僕の場合は、自分が好きな作家が住んでいたところです。例えば、夏目漱石。でも面白いのはここから。漱石にフォーカスすると、その近くに森鴎外が住んでいたりする。じゃあ、まず漱石・鴎外で文京区に行こうとなる。すると、その途中、日暮里から谷中の墓地を通って行こうとなるとたまたま面白い人に出会っちゃう。谷中の墓地に私と同じにおいのする変なおっちゃんがいまして(笑)、勝海舟の帽子を被って、徳川慶喜のお墓がなぜここにあるのか、慶喜と勝海舟と渋沢栄一がどういう関係にあるのかということを延々と話してくれました。

よしだ

うーん。思いがけない出会いですね。街の中にも探究している人がいる。

フィールドワークの後、どんな発見があったか、面白がってシェアしているところ。ホワイトボードがあっという間にいっぱいになるぐらい素直な思いが満ちる。こうして俳句なり餃子が生まれてゆく。

市川さん

街場のおっちゃんが探究してきたことを学んだり、怪しげなお店に入ったり、漱石・鴎外だから「文豪」、谷中だから「下町」ではなく、思わぬ出会いによるつながり。それも訪れるスポットは同じでも、歩くルートや出会う人・モノは二度と同じではない「一期一会」感。みんなで発見を共有するために語り合えば、「次はここに行ってみよう!」と新しいコースが自ずと見える。探究する脳を活性化するためにどこを歩くかマップがどんどんできあがりました。

きむら

市川さんご自身にも変化があったりするのでしょうか?

市川さん

もちろん僕自身も大いに活性化されます。ジェネレーターとしての感度・感性が高まりますから、「富士山」というキーワードが出てきた時に、「富士山は3,776m」という知識ではなく、「富士山とかけまして、○○と解きます。そのこころは○○でしょう!」というように俳句のもととなるアナロジー関係を見つけるためになぞかけをやりながら歩いたりする。歩く大喜利ですかね(笑)。こうして探究する学びをジェネレイトする先生の瞬発力は磨かれます。

くどう

市川さんの好きなところを探究しつつ歩くことから始まって、そういう歩き方がわかった参加者それぞれが自分で歩けるようになるということですか?

市川さん

そうなんですよ!探研移動小学校で一緒に歩いた人たちとはフェイスブックのグループページをつくっているのですが、参加者が味をしめて、勝手に自分なりにまち歩きをしたり、俳句をつくったり、自分なりの興味関心で調べたりしたことをシェアするようになります。仕事でつまらないことがあった日の帰路を、電車を使わずに自分の足で歩いてみたら、街を歩くうちに仕事の辛さを忘れて探究に没頭している自分に気づく。歩いて発見して表現しないといられなくなってしまう。その結果、直接関係ない仕事のパフォーマンスが上がったり、リフレッシュして翌日を迎えられたりする。日々の暮らしの中をフィールドワークして出会った発見を素直に表すということがしあわせな日常を生み出しているのではないでしょうか。

市川さんにとっての、シアワセの法則ってなんですか?

きむら

探研移動小学校の活動を通じて、今の市川さんが感じていることや気づきを伺っていると、どこか使命感のようなものも感じます。

市川さん

まちを歩くことは、時空を超えて先人たちが残してくれたものとつながる手立てでもあります。誰かのお墓の前に立ったり、たまたま先人の住んだ家を通りかかった後、その人の思想や生き方に本などで触れたりすると、その人が現代の私たちに送っているメッセージが見えてきます。どうも昨今、自己実現という言葉に代表されるように、自分が何を成し遂げるかということに妙にこだわりすぎているような気がして。そうじゃなくて、先人の切り開いた道を受け継ぎ、そこから本質を見抜き、自分のできる限りのことをやったら潔く次の世代にバトンを渡す。そんな思いになれたら気がとても楽になりませんか。

つまり、自分がどうパフォーマンスを上げるか、自分が生きることに価値があるかと思い悩むのではなく、まず歩いてみて、そこに見えてくる風景に没入することで自分の認識が変わる。こうして小っぽけな自分を超えて、人間社会のしがらみも超えて、自然や宇宙と一体化した生き方が見えてくる。そのために、実際にも、そして思考としても「歩き続ける」。それが探究する生き方だと身を持って伝えていけたらいいなと思っています。

くどう

当研究所では「シアワセの法則はあるのか?」ということをテーマにお話を伺っています。客員研究員の皆さんに、毎回お聞きしているのですが...。市川さんにとってのシアワセの法則とは何でしょうか?

市川さん

僕にとってのシアワセの法則は、面白がることです。楽しいんじゃなくて、楽しむこと。面白いんじゃなくて、面白がることだと思います。世の中に面白くないものはない。そのためには、どうするかというと「動く」「歩く」ということにつきますね。

くどう

さっきもお話されていた、探究して頭を活性化するとシアワセになる。

市川さん

はい。シアワセになるための必要条件は、探究する状態になっていること。それがただの苦痛じゃダメですけど、ただの快楽でもダメですね。つらいけど楽しい。その「つら楽しい」プロセスを面白がること。そのことが、僕にとってはシアワセであるなぁと。

よしだ

そのために歩くということですね。水前寺清子さんの『三百六十五歩のマーチ』という歌の中には「しあわせは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね」という一節がありますよね。ああいったことなのではないかなと。あの歌詞はすごいですよね。

市川さん

まさに、そうですね。その通りだと思います。今年は、ますます探研移動小学校の活動が増えていきそうで、どんどん歩いていくことになりそうです。

きむら

市川さんが歩くことで、街に探究する「おっちゃん」が増えていく。その先には、大人も子どもも"面白がれる"社会が待っている...そんな気がします。

(対談を終えて...)所員くどうのひとこと
シアワセの法則があるとすれば、どんなことだと思いますか? 客員研究員4人目の市川さんに、今回は少し控えめに聞いてみました。ところが、「面白がることですね。」という答えが、あまりに瞬時に返ってきたことに、正直驚きました。聞くと、どんな投げ掛けにも瞬時に反応し、回答することを意識しているとのこと。コミュニケーションのプロって、こういうことだな、とつくづく。子どもとの会話も、探研移動小学校の大人との会話も、徹底的にこころが通じ合うことにこだわっている。その熱い思いが、相手の意識も覚醒させ、世の中を動かしていくんだなあと思いました。
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