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客員研究員との対談その5<後編>不安定であることがシアワセ

アーティスト
中村 紋子(なかむら あやこ)

1979年埼玉生まれ。写真と絵をメインに作品を制作し、国内外で発表するアーティスト。2011年、展覧会と同時に写真集『Silence』(リブロアルテ、発売=メディア・パル)を刊行。続いて2014年、写真集『潮目』(ポット出版)を刊行した。イラストレーションのシリーズは『USALYMAN』をはじめ、現在は「TOKYO IDOL GRAPHICS」シリーズをTOKYO IDOL NETにて連載中。また2015年には、地元埼玉県川越でちいさな出版レーベル『渚出版』を立ち上げ、地元の作家と作品をのこしていく活動も展開中。
Ayaco NAKAMURA

所長きむら
お待たせしました!後編です。「自分の本質と向き合い続ける〈前編〉」では、中村紋子さんの幼少期や、代表作などが生まれた背景についてお話を伺ってきました。
所員くどう
後編では、写真と絵の両方の作品をつくられている中村さんが、現在取り組んでいる様々なプロジェクトや、中村さんにとってのシアワセとは何か?についても聞いてみたいと思います。
所員よしだ
今日は、中村さんのホームグラウンドである、埼玉県・川越におじゃましています。
中村 紋子 さん
今日は、わたしの分身でもあるお地蔵さんの「ノンちゃん」も一緒です(笑)。よろしくお願いします。

震災後の変化と新しい出会い

きむら

今日は可愛いらしい相棒も一緒なんですね。中村さんが描かれたキャラクターなんですよね。ちなみに「ノンちゃん」の誕生は、いつなんですか?

中村さん

概念の誕生は2004年で、カタチとして生まれたのは2012年くらいじゃないかと思います。石なので重いんですけどね。長沼石材店の長沼さんが彫像してくれました。それから一緒にいろんな旅をしながら、暮らしていますね。展覧会などで置いておくと、みんなからお供え物をもらって嬉しそうだったり。

くどう

なんだか幸せ者という感じですね(笑)。ここ、川越はのんびりした雰囲気がありますね。自然も多く残っていて、独特なカルチャーもあるように思います。

中村さん

そうですね。ぼんやり、のんびりした感じもありつつ。わたしは、震災があるまでは地元には目もくれないというか。全て東京で仕事して、海外で作品を売ることを考えていたんですけど。岩手県南部の沿岸にある越喜来(おきらい)地区に建てられた、震災資料館「潮目(しおめ)」との出会いをきっかけに、地元にいることの意味や価値に気づきました。

よしだ

東京に通うのではなく、地元から発信するというような?

中村さん

そうです。2014年に刊行した写真集「潮目」の著者である、片山和一良さんの影響が大きかったですね。潮目は、瓦礫でつくられた完成することのない建物で、震災資料館であり、みんなの遊び場という感じ。彼自身は、地元から30年くらい出ていないような人ですが、彼を慕って日本全国から様々な人が訪ねてきてくれる。その様子を見て、わたしも東京へ通っている場合じゃないと思いました。

岩手県南部、越喜来地区に住む片山和一良さん。津波で流された瓦礫を使い「潮目」をつくり続けている。

きむら

人を呼び寄せるパワーのような、何かがあるんでしょうね。

中村さん

地方で発信することで新しい出会いも増えています。地元の新聞社の方が、話を熱心に聞いて取り上げてくださったり。部活のように新たなプロジェクトが始まったりしています。

楽しい!を通じて始まった服部と花面部

くどう

本日お話を伺っている、川越の一軒家カフェ「シボネボルケ」でも様々な活動をされていますよね。

中村さん

はい、立ち上げた出版レーベル「渚出版」で本のセレクトと出版をはじめ、色々と関わるようになりました。例えば、花面をつくってかぶる「花面部」はシボネボルケと地元のみんなが始めた部活で、わたしは林の写真館で撮影する記録係として携わっています。また、シーチングと呼ばれる生地素材でつくられた仮縫いの服、トワルを自由 にデコレートする「服部(ふくぶ)」という活動に企画から携り、地元の他に仙台の多夢多夢舎中山工房さんとの活動の変遷をこの一年ほど記録しています。これは、潮目に出会って以降に始めたことのひとつで、美術の教育を受けていない人たちがつくったものを、写真に撮ることをしています。

紙袋に草花など参加者自身が好きなものを自由に貼り付け、つくったお面をかぶって思い思いに過ごす「花面部」。

きむら

その他にも部活があるのでしょうか?美術家ではないということは、地元の人たちや誰でも参加できるという感じですかね。

中村さん

そうですね!花面部や服部だけでなく、やりたい人が部活を立ち上げて部長になるなど、川越地域をはじめとした様々な人が参加しています。地域以外の一般の人や、福祉施設などの障がいを持っている人も。わたしは、美術を学んだ人だけが美術に関わるべきだとは決して思っていなくて。参加した人の手によって生まれたものは、誰がつくったのか最終的にはわからないくらい、どれも素晴らしいんですよ。みんなで自由につくるのがいいと思っています。

「服部」の制作風景。絵の具やクレヨンを使い絵を描く人もいれば、刺繍をトワルにほどこす人も。

「服部」でつくったトワルを実際に着たところ。参加者の生き生きとした表情から楽しさが伝わってくる。

くどう

見ていると、シリーズというか物語がある感じがしますね。

中村さん

みなさん、ものづくりの面白さに没頭していますね。花面部の最初の発想は、シボネボルケの店主さんが、紙袋にお花を飾って歌を歌ったという話をみんなにしていて。「それやってみたらいいじゃん」と部活になりました。服部のトワルは、わたしが美術部長という役割ですが、わたし自身、裁縫も刺繍もしたことがないんですよ。なので材料だけ用意して好きなようにしてもらっています。色を塗ったり、裁縫したり、着ても飾ってもいい。自由にものをつくる楽しみがあると思います。

きむら

参加している方は、どんな様子ですか?

中村さん

参加する人達も、普通の人です。普段ものをつくらない、習っていない人が、必要に迫られてつくると、すごいものをつくる。その様子を見て、もっと色々なものが見たいと思いました。

きむら

みなさん、思い思いにつくっているんですね。

いいものを世に出していく、写真家のやるべきこと。

中村さん

写真集「潮目」の編集に関わった後に、まだ世に出ていないだけで、多くの人が知らないけど面白い人も、地元に1人ずつぐらいはいるのではないかと。そんな人達や活動を写真で残していくことが、とにかく大切だと思ったんです。今は、先ほどお話した二つのプロジェクトの写真をまとめたいと思っています。わたしは、一般の人と美術家の違いってなんだろう?と考えていて。美術とは何か?みたいな。どう考えても、わたしには、普通の人達がつくるすごいもののほうが美術に見えるんです。絵や彫刻よりも、こういうものを世に出していくことが写真家の仕事というか。やるべきことという気がしています。

よしだ

それは、写真だからできることというか。

中村さん

誰かのものづくりを見つけて世に送るというのは、写真の仕事じゃないかなと思うようになりましたね。写真だけでなく、文も書いて、どうまとめるかですよね。発表形式をどうするか。例えば展示だけのことを考えたら文ってそんなに重要性はないけれど、最終形態が本と考えたら、文の構成要素は必要になります。本の場合は展示よりも、もっと見る順番を見る人に対して制限できるので、一対一にもなりますよね。わたしは、割と最終形態をどうするかというのを考えています。写真を撮っている時も最初から、本にすることを意識していますね。

きむら

絵は、どちらかというと一対一ですよね。絵と見る人の対話の関係性がより描けそうで。写真は、連続性も含めて世界が表現されるから、より伝搬する力がありますよね。目的に合わせて、そこで伝えたいものが変わったり同じだったりと、面白く感じました。

中村さん

そうですね。展示がベストか、本がベストかって、最後のアウトプットの出し方が違うと、全く狙いが変わってくるというか。これは、乗り掛かってる船なので、ちゃんと世に出すとこまではしたいと思っています。出版社を立ち上げてわかったのですが、出版するというのは図書館に寄贈できるということ。そうすると街に残るんです。渚出版に関しては、売って広げるよりも残すことに重点を置いています。

くどう

アーティストとしての中村さんと、川越に根ざしてローカルで活動している中村さん。これから先どう展開していくのかも気になります。

中村さん

最終的には全部統一化されたら良いなと思っています。地元で自分らしくつくって、それを海外など遠くまで発信できる。でも、その統一化が実現するのはすごい先かもしれません。今は、絵と写真で、とにかく全ての生活をまかなえるように動くことを最低のラインにしています。わたしは、その中で、お金を稼ぐためにつくることと、本当に自分の抽象度が高いものをつくる。これはたぶん永遠にやっていくことだと感じています。今は、お金が絡んでくるものの一部を、地元に還元できないだろうかと考えて動いていますね。そこが、今のところは現実味があって、できることだと思っています。

X軸とY軸。大切にしている本質とは?

きむら

最初に、東京から地元へという話をしましたけれど、川越に居るときの中村さんは、よりリラックスしていて、自然体な感じがしますね。

中村さん

東京に行くと、ものすごく緊張していると思います。ただ、わたしの中では、例えばX軸とY軸のようなものの中心は常にぶれていないんですよ。中心に対して周りの点は、相関として打っているけれど、中心点はいつも変わっていないという自覚があります。

よしだ

色んなことに点を打ちながら、ぶれない中心がある。

中村さん

なるべく対極のものを持ってこようという意識もありますね。対極のものを入れないと、ほんとは中心の位置って特定する事はできないんです。

きむら

極論に振らないと、本質が見えないという話を思い出しました。

中村さん

そうです、そうです!わたしも両脇から必ずやるようにしています。中心を最初から考えると、人間は失敗するんですよ。位置が変わる嫌な感じもします。なるべくこう、極論から真ん中ってしようと思っていますね。

くどう

なるほど!中村さんが、これまで生み出された作品や、色々なところで取り組んでいる活動のどちらもがあって、こうして川越にいることは、そういうことなんだなと思いました。

晴れた日には、この木の下に座って絵を描いたり、のんびりとしているのだそう。

中村さん

はい。本質を知るためには、一個のことを深く掘り下げるのもそうですが、他の例をいっぱい見ないといけないと感じています。多様性の抽象度の話なんですけれど。一番は、作家であることをそのまま守りたい思いもあって。ここは特に大事にしていたいというか。そこから、自分の中に色々な部門をつくる感覚でいます。

きむら

ここで、少しH=ms2研究所的な質問をさせていただきます。人の幸せにどういう関わりを持つかなど、影響を考えたりすることはありますか?

中村さん

人の幸せにとやかく言うのは、非常におこがましいことだと思うので、何かをしようというのはありません。ただ、自分が楽しそうにしていれば、きっと周りの人も楽しくなると思っています。人を変えようとかは、好きじゃないんですよ。

中村さんにとっての、シアワセの法則ってなんですか?

くどう

ところで、中村さんにとってのシアワセの法則ってなんでしょう?

中村さん

シアワセの法則、あります!不安定を安定させること。

きむら

不安定を不安定のままのバランスで維持させるという意味ですか?

中村さん

はい。安定に変えるんじゃなくて、不安定のまま維持させるという。不安定が無くなったら危険だなと思っているんです。自分がどこかに所属し始めてる証拠だから、両極にいたいというか。

よしだ

そのほうが、自然であり自分らしくあるというような?

中村さん

そうです。めっちゃ不安定でいたいですね。

くどう

そこに恐さはないのでしょうか?

中村さん

恐いです。でもそれ以上に安定のほうが恐いんです。安定をしたら濁るから。ものをつくらなかったら、めっちゃ安定したいです(笑)。安心ですし、考えなくて済みます。だけど、つくってるうちはダメな気がして。それはすごく意識しています。本当の天才を何人か見たことがあって、わたしは天才じゃないなっていうのは結構早いうちに気づきました。わたしは、どちらかというと学んできたタイプ。人は人ですが、わたしの場合は、自分が不安定で安定させた方が、つくったものが良くなるし、ものづくりを中心にできる。自分がフラットにいられるんです。

きむら

その気づきがあったということは、人生のなかで安定したことがあったということでしょうか?

中村さん

安定しきったことはないんですが、こういう多幸感があるんだっていうのは感じて学びました。多幸感のことを、みんな幸せと呼んでるんだってわかった瞬間があって。確かにコレはすごく良い!とか思いました。なにもなかったらそっちにいたいというか。でも、つくっているうちはしょうがないよね、と思っています。

よしだ

その道を選んだからということ?

中村さん

そうです、今の道を望んで選んでいるから。みんながみんな、そうする必要はないと思います。わたしには、この道だったというだけで人それぞれ選ぶ道も幸せも違いますよね。わたしの場合は、大事なことや選んだことをつきつめていると思いますが、はたから見ると「この人、どうやって生きてるんだろう?」と思うくらいの自由はあると思います。全部を得ようとするのではなく、自分にあるもので生きていく。みんな違うから、自分の研究をしたほうが面白いのかもしれません。

よしだ

安定したら濁る...水も同じですね。私の好きな英語の諺に、"A rollingstone gathers no moss."(転がる石にコケは生えない)というのがあります。逆に言うと、転がるのをやめてしまったら、コケが生えてしまう。中村さんも転がり続けてください、私も私なりのやり方で転がっていこうと思います。

(対談を終えて...)所長きむらのひとこと
「正直なものは美しい、嘘がないものが美しい」という中村さんの言葉がとても印象的でした。例えば、「自然」には嘘がありません。だから、美しい。でも自然は安定しているとは限りません。まさに不安定を安定させている状態が、自然の中の幸せのあり方というか...。中村さんが最後に言われた"自分の研究"というのは、ひょっとしたら自分自身が自然体であろうとすることの研究のような気がします。
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