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客員研究員との対談その7<前編>建築が好きだ!というはじまり

田中 元子(たなか もとこ)
株式会社グランドレベル

1975年、茨城県生まれ。独学で建築を学び、2004年、大西正紀とクリエイティブ・ユニットmosakiを共同設立。建築、まち、都市などの専門分野と一般の人々とをつなぐことを探求し、建築コミュニケーター・ライターとして、主にメディアやプロジェクトづくり、イベントのキュレーションなどを行ってきた。2014年、毎号2万字インタビューを実施し、全国の建築系教育機関等へ無料配布する建築タブロイドマガジン『awesome!』を創刊。同年、『建築家が建てた妻と娘のしあわせな家』(エクスナレッジ)を上梓。2016年、株式会社グランドレベル設立、代表取締役社長。

大西 正紀(おおにし まさき)
株式会社グランドレベル

1977年、大阪府生まれ。2001年、日本大学理工学部建築学科卒業。2003年、日本大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程前期修了(高宮眞介研究室所属)。修士設計にて駿建賞受賞。その後渡英し、2003~2004年、設計事務所 Ushida Findlay Architects UKに勤務。帰国後、田中元子と共に、クリエイティブ・ユニットmosakiを共同設立。編集者・建築家・クリエイティブディレクターとして様々な企画やプロジェクトに従事。2016年、株式会社グランドレベルの創業に参画し、リサーチャー兼ディレクターを担当。
株式会社グランドレベル

所長きむら
当研究所は、2016年7月に立ちあげ、おかげさまで1年が経ちました。これまで「H=ms2」をテーマに研究を続けてきましたが、これからも探究していきたいと思っています。
所員くどう
今回は、"1階づくりはまちづくり"をテーマに様々な活動をされている「株式会社グランドレベル」の、田中元子さんと大西正紀さんのお二人にお越しいただきました。どうぞよろしくお願いします。
田中 元子 さん
はじめまして、今日はよろしくお願いします。
大西 正紀 さん
どうぞよろしくお願いします。

クリエイティブ・ユニット「mosaki(もさき)」の誕生。

きむら

僕たちが研究している「H=ms2」というのは、Happiness(幸福)、money(お金)、sense(感性) を表しています。仮に幸福の公式があるとしたら、今の世の中にお金は必要だけど、感性が豊かであれば幸せは大きくなるのではないか?という意味合いの公式です。

よしだ

毎回、客員研究員の方々をお招きしてお話を伺っていまして、田中さんと大西さんのお二人で7回目です。

くどう

今回は、建築やまちづくりについて様々な活動に携わり、続々とプロジェクトを立ちあげてこられたお二人ならではの、新しい可能性に満ちたお話を伺いたいと思っています。

田中さん

わたしたちは、元々は「mosaki」として、建築をテーマにした活動を行ってきました。それぞれの視点を活かし、主にメディアやプロジェクトづくりに関わることが多かったですね。一方で、いろいろな出会いの中で、2010年からは「けんちく体操」という身体を動かして建築を学ぶワークショップも行っています。

大西さん

ほかにも、2014年から都会の遊休地にキャンプ場を出現させる「アーバンキャンプ」を協同で企画・運営していたり、2015年からは「パーソナル屋台が世界を変える」というプロジェクトをはじめました。けれども、軸足は全て建築にあるのかなと思っています。

くどう

田中さんと大西さんは、「mosaki」としてお二人で活動されていますよね。なぜ、結成したのかを教えてください。

田中さん

mosakiという名前は、実は自分たちでつけたわけではないんですよ。2000年頃、二人が出会ったばかりのことです。いつも一緒にいることが多かったので、二人の名前(もとこ・まさき)をくっつけて「mosakiはどう思う?」と、言われるようになったのがきっかけでした。ちょうど表参道にあった同潤会青山アパートメントが、取り壊しになるか・否かという話が社会的に表に出た時でわたしたちは、青山アパートを保存・再生を求める「Do+(どぅ〜ぷらす)」という活動をインターネットを通じて集まった仲間たちと行っていました。

青山アパートメント/同潤会アパート

大正から昭和初期にかけて、16ヶ所余りで建設された同潤会アパート。かつて東京・表参道にあった共同住宅は、建物や設備の老朽化が進んだことにより、住民や近隣住民などから建て替えを望む声が多かったと言われている。一方で建物の保存を強く求める声もあったが、2003年に解体された。跡地には、複合施設「表参道ヒルズ」が2006年に建設された。

きむら

お二人を指して呼ばれたのが、きっかけなんですね。

田中さん

結成のきっかけは、そうですね。Do+の活動の場には、最初は保存を望むメンバーがたくさんいて、わたしたちも保存してほしいと単純に思っていました。そのためには何をすれば良いか考え、地権者やアパートの住人、周辺住民、設計者の安藤忠雄さんまで、さまざまな立場の方に話を聞きにいきました。すると、徐々に声高に「残せ」と言っても生産的な流れがつくれる状況にないことがわかってきました。その後、全保存できないなら活動は意味が無いと離れていくメンバーが増え、最後はmosakiの二人しか残らなかったんです。

建築との衝撃的な出会い。建築ファンを増やそう!

大西さん

一方、当時の僕は建築家になりたかったので、大学院に行って設計を学んでいました。大学院修了後は、ロンドンの設計事務所に就職したのですが、ちょうどロンドンに住みはじめたころ、青山アパートは壊されました。今思い返しても残念です。

きむら

青山アパートには、建物の体動みたいなものがありましたよね。都市ならではの文化感というか。そんな空気がありました。

田中さん

日本で、はじめてのコンクリートを使用した集合住宅でしたし、デザインやプランはもちろん、その中で生み出されていった日常のシーンを見ても、稀有な存在だったと思います。

大西さん

あれほど建物と環境、街と人が共鳴しあって存在できていたということは、今の時代の建築が目指していることそのものだと思います。だから、なおさら残念に思うのでしょうね。

よしだ

その後、お二人はどうしていたのですか?

大西さん

僕は、1年ほどロンドンの設計事務所にいましたが、あるとき日本に帰国することになりました。そのあたりから、設計の仕事ではない仕事を始めようかという話を二人でしていました。ロンドンにいた時に、社会の中や市民の心における建築の存在が、日本とはまるで違うと感じていました。例えば、一般の人も普通に建築やまちに対して興味を持っているし、そういった話題を普段から話しています。テレビをつけたら、ゴールデンタイムに有名な建築のアワードの授賞式を放送しているわけです。

田中さん

だからこそ、「日本で一般の人が、建築や都市について話せない状況を少しでも底上げしたい」とよく話していました。そのために、文章を書く・本をつくる・イベントを企画する。その選択肢は、何でもよかった。とにかくそういう視点で、2005年くらいからmosakiとしての活動がスタートしました。

よしだ

田中さんは、どのようにして建築に出会われたのですか?

田中さん

わたしは、18歳で東京に出てきたのですが、当時は、建築のことなんて全くわかりませんでした。建築家は大工だと思っていたくらいですから(笑)。ところが、ある本に出会って突然、建築が好きになったんです。

よしだ

それは、どんな本だったのでしょう。

田中さん

アルバイトの帰りに書店に行くのが好きで、よくデザイン関係の書棚に行っていました。そこである日、たまたま手に取ったのが、スペインのモダニズム建築家、アルベルト・カンポ・バエザの本でした。それを見て、衝撃を受けたんです。

アルベルト・カンポ・バエザ(ALBERTO CAMPO BAEZA)1946年、スペイン生まれ。代表作には「サン・フェルミン公立学校」(1985)、「海の見える学校」(1992)、「BITセンター」(1998)、などがある
http://www.campobaeza.com/

きむら

それまで、建築に興味が向いていなかったという田中さんが衝撃を受けたのですよね。どんな魅力を感じたのか気になります。

田中さん

言葉にするのは難しいのですが、カンポ・バエザの建築を見た時に、建築というものは社会や時間など、すべてが凝縮されているのだと感じました。これぞ社会的なプロセスそのものだ!と。それから建築がどんどん好きになって、やがてもっと多くの人が建築や都市に対して感心を高めていかなくてはいけないと思うようになりました。専門家が施主になるのではなく、素人が施主になる時代ですから。そういった意味でも、純粋に建築ファンを増やす活動をするべきだと。

よしだ

建築家へのはたらきかけではなく、より多くの人に向けて建築ファンを増やそうと思われたのですね。

思いがけないスカウト!「けんちく体操」とは?

田中さん

はい、建築を専門家向けではなくて、わたし程度の素人でも楽しくわかるような状態にするには何をすればいいのか。具体的な仕事も肩書きもわかりませんでしたが、その先にやりたいことがありました。

二人でこんなことをしたいと方々で話をしていたら、ある雑誌の方から何か書いてみませんか?と声をかけてくださって。そこから、大西が編集で、わたしが執筆という形の仕事がスタートしました。それ以降、雑誌の連載や取材記事を書かせていただくことから、WEBマガジンや本の製作といった編集プロダクション的な仕事が増えていきました。

きむら

先ほど「建築ファンを増やす」とお話しされていましたよね。その辺をもう少し聞いてみたいです。というのも、建築という言葉だけでは表せないことを仰っている気がして。

田中さん

これまで活動を重ねてきた結果論で言うと、建築は手段であって「建築や都市の環境が良くなることを目指す」ことが今のわたしたちのテーマです。社会が良くなる、人が幸せに生きる環境がもっと豊かになっていったら良いなと。もし、自分たちに建築という手段が無くても、世の中が良くなるためにはどんな仕事すれば良いかを考えて、新たな仕事をつくっていったと思います。

くどう

お二人ならではの思いが、今の活動につながってきていると感じます。ところで「けんちく体操」は一体どういうところから生まれてきたんですか?

大西さん

けんちく体操は、簡単に言うとスカウトされたんです。

きむら
よしだ
くどう

え!スカウトですか?!?

大西さん

そもそも「けんちく体操」は、2000年頃に建築の歴史家で江戸東京たてもの園の研究員の米山勇さんと、学芸員の高橋英久さんが二人で、ある建築展の子ども向けのワークショップのとして始めたものでした。建築物写真をプロジェクターで大きく写して、参加者はそれを観察して、建物の形を自分が感じたまま身体で表現するというものです。ただ、二人では少し恥ずかしかった部分があったみたいで。それから10年間に4回しかやらなかった。それで、2010年の5回目開催の時に僕らが呼ばれたんです。

きむら

内容も面白いですし、それまでの開催頻度についてはオリンピックみたいですね!

田中さん

はじめて「けんちく体操」ワークショップに参加させていただいて、感動しました。建築なんて興味がない人たちも楽しんでいる。建築に関係がないと思っている人にこそ、普通に関心をもてる環境づくりがしたい。それは、わたしたちのがやりたいこと、そのものだったのです。その後は、わたしたちもチームに加わり、日本国内はもちろん海外でもワークショップを展開してきました。ワークショップはもうすぐ100回を迎えるところです。

答えなんてない、みんなが正解という楽しさ。

大西さん

「けんちく体操」は、最初は一人で行います。たとえば、東京タワーの写真を写して、一人でマネをしてもらう。次は二人組になって、二人組に適した建物にチャレンジする。そこから3人、5人とチームの人数をどんどん増やして。最後は10人ぐらいのチームをつくり、「築地本願寺」やシドニーの「オペラハウス」のような大きな建物にチャレンジします。

きむら

あーなるほど!何人かで組んでやるからこそ、できるものもありますよね。

大西さん

人数を変えるたびに、濃密なコミュニケーションが生まれるんですよ。「初めまして!」って言いながら、すぐにやらなきゃいけない。名前も知らない人同士が、建築写真を一緒に観察しながら、どうしよう?こうしよう!と考えたり、スキンシップもがっつりやらなくてはいけません。

くどう

こうしましょう!という体操の見本のようなものは無いんですか?

田中さん

はい。「東京タワーはこうです!みなさんもやってみてください」ということは一切やらずに、写真を見て自分だからこその表現をしてもらいます。

大西さん

どう見て、どう感じて、どう表現するか、ということに唯一の答えはありません。だから、みんなが正解なんです。それぞれの表現について、けんちく体操のはかせ役の米山さんが良い体操をセレクトして。参加者に前に出てもらったら、「ほらココが構造の形が良く出てるよね〜」と、皆の前で批評するんです。それがまた盛り上がるんですね。

きむら

プロの解説つきなんですね!すごい!それは楽しいな〜

田中さん

子どもたちには純粋に身体を動かしてマネをしている楽しさと、褒められている満足感が生まれますし、大人には小ネタが耳に入る面白さもあります。はかせは歴史家なので、解説も建築情報が豊富です。子どもは、みんな前に出たがりますし。特に団体戦になると知らない人とチームになっていても、自分のチームで勝ちたいという思いで満ちています。はかせが選んでくれないと怒ったり泣いたり(笑)。優劣をつけることに反対する人もいますが、わたしはこれで良いと思ってます。それでも、みんなが正解なんですから。

くどう

みんなが正解というところも、「けんちく体操」の魅力ですね

田中さん

「けんちく体操」のような一種の建築教育や、わたしたちがこれまでつくってきたメディアも、ゆっくり育つ種をまいている感覚です。その先で人や社会が変わるとしても、結果が現れるまでのスパンが長い。もちろん地道にやる価値を感じていた一方で、ダイレクトに都市や建築や、まちを変えることに関わってみたいなと思うようになりました。そんなときに始まったのが、「アーバンキャンプ」というプロジェクトでした。

今までにない都市の使い方は、まちの再発見に繋がっていた。

きむら

アーバンキャンプと言うと、都会的なキャンプでしょうか?

田中さん

2014年に「トランスアーツトーキョー」というイベントの一環として、東京・神田にあった、広大な東京電気大学跡地を活用したイベントを考えてくださいという依頼から始まりました。大好きな東京に、普段と違う接し方で触れたいという思いから、広大な空き地に"泊まりたい"と考えはじめ、ビルに囲まれた敷地の中でキャンプをすることにしました。共感してもらえる自信はなかったのですが、始めてみるといろんな人が参加してくれたので驚きました。

きむら

まち中で開催できるキャンプは新しい気がします。都会でテントが張れることそのものも珍しかったのでは?

大西さん

都会で、わざわざキャンプをする行為を不思議に思う声もありました。けれども、参加者の皆さんを見ていると、都会での自分の楽しみ方を新しく見つけて過ごしていたのです。テントを張ったら、子どもと上野動物園へ、渋谷に映画を見に行く人もいれば、すぐ近くの老舗の飲み屋に行く人もいます。連泊してテントから仕事に行って、またテントに帰ってくる人もいました。とにかく、テントを張った後に、まちへ出て歩いてみると、見えてくるものや感じられることが新鮮なんだそうです。まさに日常では気づけない再発見があるようです。

田中さん

そこには、自分で発見する大切さがあるように思います。わたしたちが用意するのは、テントが張れる場所と、火をみんなでシェアできる場所、このふたつだけです。あとはすべて自由です。それだけあれば、サイト内では自然と交流が生まれます。

よしだ

特別に用意しなくても、十分贅沢なんですよね。都会で焚き火ができるのはいいですね。

田中さん

火をシェアするだけでも、互いに知り合う時間になります。アーバンにこだわるのは、都市の見方や、都市との関わり方、都市の使いこなし方みたいなものが変わるところです。それに気づく、きっかけになればと。

大西さん

アーバンキャンプでは、ずっとテントの中に閉じこもってる人や、一人で本を読んでる人のように自分たちだけでいたい人も当然います。そこに、わたしたちは干渉しません。それぞれの居心地や自由さも大事なんです。参加者は、キャンプ初心者が半分ぐらいです。服装も普通にオシャレをして、キャリーバッグでくる人も多いですし、スケボーに乗ってくる子もいれば、自転車でくる人、地方から新幹線で来る人もいます。まさに観光ツーリズムの新しい形だと考えていて、今は全国の地方都市への展開をチームの仲間たちと共に進めているところです。

きむら

面白いですね。お聞きしてると、先ほどの「けんちく体操」も「アーバンキャンプ」も、街を見る目が変わってくる中での再発見が多く、みんなが楽しんで参加できる魅力に溢れていると感じました。

くどう

田中さんと大西さんの、建築やまち、都市や人への愛情がベースにあるプロジェクトばかりですよね。みなさん中編も、どうぞお楽しみに!

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